サックス以前の音楽遍歴Ⅰ:サイモンとガーファンクルのギター奏法を極める

Guitar 音楽

音楽は私にとってなくてはならないもの、大袈裟ですが、音楽無しでは生きてはいけないと思います。

そんな私ですが、いつごろから音楽を楽しむ心が芽生え、そしてどういう変遷があって今に至るのか、シニアの仲間入りをした自分の音楽遍歴がどうだったか、あらためてまとめてブログに残すことにしました。

こういうことを言うのも年を取ったせいかもしれませんが、楽器演奏は認知症を防ぐひとつの方法という報告が医学的な見地からも言われています。

最初にちょっとだけ触れますが、私が初めて楽器に触れたのは実はピアノです。

小学校5年の時、何がきっかけだったか忘れましたが、母親に「ピアノを習いたい」と自分から頼み込んだのです。

母はちゃんと続けるなら習っても良いと言われたので、ピアノを教えている知り合いのお姉さんの音楽教室の生徒になりました。毎週1回日曜日の1時間がレッスンの時間でした。

入門から初級と進んでいくうちになんとなくレッスンをさぼるようになったのです。

それを知った母は烈火のごく怒り、当然ピアノのレッスンも辞めさせられました。

 

その母は私が中学2年の秋、亡くなりました。

小学校3年の時にバイクに乗っていて後ろから追突され、奇跡的に命はとりとめたのですが、顔面は変形し、口がほとんど開かず、臭覚もないという、辛い状態で事故から5年後に亡くなりました。相当苦しんでいたので、楽になれてよかったのかもしれません。

それから、気持ちを紛らわせるため、レコードを聴き始めるようになりました。そのころ買ったレコードが「雨にぬれても」という映画音楽でした。

母が亡くなってしばらくして、叔父が私にLPレコードを買ってくれました。このLPこそ、私が音楽活動を始めるきっかけとなったレコードでした。

LPのタイトルは「サイモンとガーファンクル」ベストヒット

「サウンドオブサイレンス」や「ミセスロビンソン」など、映画「卒業」のなかの挿入曲として有名です。

私の通っていた中学校にフォークギターが弾ける友人がいました。私や数人の仲間が、彼からギターの弾き方を教えてもらうことになりました。

フォークソング全盛期、井上陽水や吉田拓郎が売れ始めたころです。外国では、ピーター・ポール&マリー(PPM)やボブディランが全盛期のころです。

初心者は、C、A、Am、E、Em、G、G7、Dm、D7、などの比較的押さえ方が簡単なコードからまず覚えます。

割と早く覚えられるのですが、ちょっとだけ苦労するのがFなどのセーハでしょうか。人差し指全体でフレット6弦全部を押さえなければならないので、最初は人差し指が痛くなったりしますが、なれてくれば誰でも必ず押さえられるようになります。

指の皮が厚くなり、むけたりもしますが自然と慣れます。

こうやって主要コードをまず一通り押さえられるようになり「ジャーン」とピックでかき鳴らすことができるようになります。

私が一番最初に覚えた曲が、ジローズの「戦争を知らない子供たち」でした。コードが4つしかないので、初心者が練習するにはうってつけの曲でした。

これから、ギターを始めたいという方は、最低 C, F, G をまず押さえられるように練習しましょう。

さて、これで終わりではもちろんありません。

もっとギターを楽しむならアルペジオが弾けるようにならないとダメです!

右手の指で弦1本1本を分けていく弾き方です。

単純な動きのものから、変則的な奏法まで、無限にあります。

色々な曲を聴いてまず耳でなれることが大事だと思いました。

私は帰宅してから何時間も練習しました。

比較的短時間で一応の奏法はマスターしました。

ここから、いよいよ「サイモンとガーファンクル」の楽曲演奏への挑戦が始まります。

「サウンドオブサイレンス」は簡単でした。

「コンドルは飛んでいく」「ミセスロビンソン」などもかき鳴らすだけなので全く問題なく弾けます。

唯一一番弾きたいのに苦戦したのが「April Come She Will」(四月になれば彼女は)です。

簡単なアルペジオではなく、変則的でした。

そのうえ楽譜もありません。私はとにかく弾きたかったので、

寝る間を惜しんで、レコード針を難しい箇所に繰り返し落とし、耳でコピーしました。

その結果、数週間後完璧に「四月になれば彼女は」が弾けるようになったのです。とにかくうれしかった。

このころから、耳で聴いたものをある程度再現できる技術が身についたと思います。

今では、「四月になれば彼女は」は色々なところから楽譜が出版されていますし、YouTubeにも奏法の解説がアップされているので、誰でも苦労せずにマスターできるようになっていますね。

インターネットの進歩は、音楽だけでなく色々なことに時間を費やしなくてもいいように便利になってきています。

でも、自分で苦労した分、色々な技術を体で覚えられたおかげで、いまでもギターを何十年も弾かなくて、たまに弾くと頭ではなく、指が覚えているので、当時と同じ演奏ができます。

学校では、音楽の先生の取り計らいで、ギタークラブなる非公認の部活動ができるようになり、何度か市民会館などのステージで演奏する機会がありました。曲はPPMなどのフォーク以外にラ・クンパルシータなどのタンゴも演奏しました。

卒業式では、六文銭の「旅立ちの歌」を卒業生代表として、6人のメンバーで演奏しました。

自分自身はひとり「サイモンとガーファンクル」の色々な楽曲を譜面があるものから、無い物まで、相変わらず自宅で毎日練習をしていました。

そして、とてもマイナーなジャンル、イギリスのトラディショナルフォークというジャンルにもハマっていきました。

このジャンルではバートヤンシュジョンレンボーンというギタリストが有名です。

今、かなりマニアックなことを書いてます。(知らない方ゴメンナサイ)そして、デイビーグラハムが作曲し、ポールサイモンのソロで有名になったブルース調の曲「アンジー」に大きな衝撃を受け、これもまた楽譜がないまま、耳を頼りに練習をしました。

気づいたときは夜が明けていたという時もあったほど、のめりこんだのです。

2,3週間くらいかかったでしょうか、完全ではないと思うのですが一通り流して弾けるようになりました。

今ではYoutubeで、楽譜から、教則ビデオ、指をアップにした細かい演奏の様子も観ることができます。

とにかく格好いいので聴いてみてください。

ああ、これ弾いてみたいとギターをある程度弾ける方なら必ず思うはずです。

ギタークラブのメンバー6人は同じ高校へ進学しましたが、

高校にはすでにフォークソング同好会がありすぐに6人全員が入会しました。

中学から仲の良かったMくんとは、サイモンとガーファンクルコピーデュオとしてすでに中学で活動をしていました。

そこに強力なメンバーKくんが加わりました。

Kくんは学年きっての秀才で東大を目指していましたが、彼も中学の時に「サイモン&ガーファンクル」に傾倒し、英語の歌詞を全部自分なりに和訳して、研究していたようです。

哲学がお似合いのいわゆる文学青年でした。

その彼の歌声はまさにアート・ガーファンクルそのものでした。

もう、これは3人でやるしかない!とすぐにメンバーに加え、ギターは私とMくんが担当し、KくんとギターのMくんが歌唱(デュオ)を担当するというトリオのグループの誕生です。文化祭などでは毎回ステージでサイモンとガーファンクルの曲だけ披露していました。

3年ほど前、この3人で小さな同窓会をしましたが、2次回のカラオケは・・・もちろん「サイモンとガーファンクル」オンリーです。

最近のカラオケは実に曲のストックが多いです。

利用したカラオケ店は「サイモンとガーファンクル」の曲がほとんど載っていました。

約40年ぶりの「サイモンとガーファンクル」コピートリオの復活は、時の流れを忘れさせてくれる至福の時でした。

「サイモンとガーファンクル」トリオのほかに、中学のときからの同級生と、高校で新しく出会った2人の女性ボーカリストを加え、フォークグループ「赤い鳥」のコピーバンドもかけもちでやっていました。

女の子たちは声楽をやっていたので本当にきれいな声をしていました。

文化祭では「翼をください」「竹田の子守歌」などを披露したことを昨日のことのように覚えています。

「翼をください」は知らない人がいないくらい有名な曲ですね。

サッカーの応援歌?になるくらいですから

 

大学に進学してからは、部活はフォークソングではなく邦楽部に入部し三味線を担当することになるのですが、それは楽器遍歴(三味線編)でまたじっくりお話ししていきたいと思います。

さて、ギターのほうですが演奏のさらなる技術アップを目指し、黒人のブルースをギター演奏に特化した「カントリーブルース」というジャンルにのめりこんでいきました。

幸いこのジャンルは、教則レコード(レコードに付録として楽譜がついてくる)が数多く販売されていて、練習するのに耳コピーする必要がなくなり、レパートリーを増やしていくことができました。

「ステファングロスマン」という白人のギター奏者がいますが、カントリーブルースの第一人者です。

今考えると、JAZZも黒人霊歌から発展したブルースが原点となっているので、カントリーブルースを弾くことが、のちのちJAZZにつながっていくきっかけになったのかもしれません。

とにかく、奏法が演奏者によってバラエティーに富んでいて弾く者を飽きさせません。

カントリーブルースもYoutubeに結構アップされているので興味があったら一度聴いてみてください。

ギターをある程度弾く方はギターの世界観がさらに広がると思います。

 

卒業後、東京の外資系コンピューターメーカーに就職しました。

東京といっても都下ではなく、西のほう立川方面にある会社です。

相変わらずギターは手放すこともなく、仕事以外の時間はギターを弾いていました。

そのころは、まだ大学から始めた「カントリーブルース」を主に弾いていました。

会社には軽音楽部があり、即入部しクラブ主催のコンサートなどでギターソロを披露していました。

弾き方は、いろんなパターンがあり、テクニックも結構要するので、マスターするのに時間がかかる曲もありましたが、たいていは弾きこなせるようになり、ソロで弾く快感を感じるほどのめりこんでいきました。

ある日軽音楽部の部長が、うちらのバンドのメンバーにならない?と声をかけてくれました。

そのバンドは、高中正義のコピーバンドでそこで初めてエレキギターを担当することとなります。

高中正義は中森明菜の楽曲「十戒」も提供しているポップス・フュージョン界のトップリーダーとして活躍していました。

リードギター(主に旋律)は部長が担当し、私はサイドギター(ジャーンとかき鳴らす)を担当しました。

長い間、生ギター1本でやってきたので、最初は簡単にボリュームや音色を変えられるエレキギターに戸惑いましたが、バンドとして演奏すること自体とても楽しくなっていきました。

エレキギターには大きく分けて、ソリッドギター、フルアコ、セミアコの3種類があります。

ソリッドギターはボディーが木材の単板か合板(貼り合わせているもの)で、中に空洞が無くソリッド(中身の詰まった)な状態で、比較的ボディーが薄いのも特徴で、コテコテのロックなどでほとんど使われるタイプです。

それに対し、フルアコは中がアコースティックギターのように空洞になっていて、電気を通さなくてもある程度の音量が出ます。

主に、JAZZギターのソロで使われることが多いです。

そして、セミアコですが、ソリッドとフルアコの中間的な存在なので、ロックもできるけどJAZZもOKといったタイプです。

私は会社の先輩からYAMAHAのセミアコを安く譲ってもらいました。

会社は電気労連というユニオンに属していて、その関係で電気労連音楽祭が1年に1度開催され毎年私たちのバンドは出場していましたが、私が加入して2年目の音楽祭で優勝したのです。

このときのキーボードは国立音楽大学の現役のピアノ科の女子学生でした。

さすがにものすごいテクニックを持っていて、それも優勝した一因かもしれません。

軽音楽部での活動は相変わらずでしたが、部長が会社を退社されたことをきっかけにメンバーの半分が入れ替わり、選曲も主に私が担当するようになっていました。

その頃、テレビでは「オレたちひょうきん族」が人気を博していました。

この番組のエンディングでEPOが歌う「ダウンタウン」という曲を聴き衝撃を受けました。もう40年も前の曲ですが、今聴いてもとてもおしゃれで、かっこいい旋律が特徴です。

山下達郎さんが作曲したということを考えると納得です。

早速、女性ボーカルを加え、ダウンタウンから始まり、主にEPOの曲がレパートリーとして増えていきました。

「う・ふ・ふ・ふ」「土曜日の夜はパラダイス」など、とにかく明るい曲調のものが中心となり、EPOをはじめ、竹内まりあ、杏里など女性ボーカルの曲がレパートリーとして増えていきました。

すっかり、今でいうシティーポップに強くひきつけられていくようになっていました。

なので、フォークギターを弾く機会はめっきり減っていきました。

そして、あることをきっかけに、ギター奏者からSAX奏者に転向することになるのですが、これから先は・・・

私の楽器遍歴(SAX編)をご覧ください。

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