SAXを始めたきっかけはチャーリー・パーカー

Sax 音楽

中学から始めたギターから、大学の部活で弾いていた津軽三味線、どちらも弦楽器になるわけですが、たぶん、ギターから音楽を始めた、あるいはこれから始めるという方も多いのではないでしょうか?

三味線はちょっと特殊ですが(笑)

ギターは基本、両手を使って演奏する楽器ですね。

右利きのひとだったら、左指でギターのフレットを押さえ右手あるいは右指で、弦を鳴らすスタイルになり、手軽に始められるというイメージがギターにはあると思います。

ギター編で書いてきたように、最低3~5コードを覚えればすぐに弾き語りもできます。

手だけしか使わないので、口が使えます。一人で完結した演奏ができますね。

なので、ギター編でお話ししたように、バンド活動では女性ボーカルのバックで、自身ハモリながら歌った楽曲も結構ありました。

「ギターは小さなオーケストラ」という格言があります。

作曲家ベートーベンが言ったといわれていますがそれほど、ギター1本さえあれば、演奏した場合それだけで完成された音楽になります。

最近ウクレレがシニアの退職後の趣味として注目されているそうですが、音も小さいし持ち運びに便利なので、初めて触る楽器がウクレレというシニアの方も少なくないようです。

さて、私自身は、サイモンとガーファンクルからステファングロスマン、高中正義、EPOまで色々なスタイルのギターを極めてきたのですが、

これ以上演奏するジャンルはないかなとある程度煮詰まってきていました。

その頃はまだ東京で暮らしていていて、YAMAHA渋谷店によく行っていました。

ギターの弦やCDなどを買いに行っていましたが、楽器店は私にとってのディズニーランドみたいなもので様々な楽器を見て回ったり、CDを試聴したりと1日中いても飽きないくらいでした。

その中で、特に目を惹かれたのがSAXでした。金色に輝きすごい存在感がありました。

たまたま、SAX教室が渋谷店で開講されていて、ちょうど募集していました。

それで、ちょっとやってみたいなという軽い気持ちで、教室の申し込みをしましたと、同時にYAMAHAの比較的安いSAXを購入しました。10万円くらいだったと思います。

本当に初心者用です。学生が吹奏楽で初めて吹くときによく使われる機種です。

さっそく、アパートに帰り、吹き方などわからず自分なりに吹いてみました。

当然最初は、上手く音が出ませんでしたが、一週間ほどでドレミファソラシシドの音階が吹けるようになりました。

実は管楽器の中で一番音を簡単に出せるのはSAXなのです。

マウスピースに、竹製のリードをはめて、息を吹き込んだ時そのリードが振動し音がなるわけです。

なので、吹き方のこつをつかめば誰でもすぐに音が出せるようになります。

最初にギターは小さなオーケストラだと言いました。

SAXはどうでしょう。

SAXを吹いているところ(テレビやYoutubeなどのビデオを含め)を見たことがないというほとは、まずいないと思いますが、ご覧のように、まず、両手の指を使いますが、もちろんそれだけでは当然音は出ません。

それに口が加わります。息を吹き付けないと音が出ません。

なので、ギターなどに比べたら敷居が高いと思われる方が多いようです。

その上、ピアノやギターは同時に複数の音が出せます。

(ギターはMAX6音ですが・・・)

しかし、SAXは同時には1音しか出せません。どんなに早く吹いても1音です。

それだけ聞くと、なんかつまらないなぁと感じる方もいらっしゃるかもしれません。

まったくそういうことはなく、1音しか出せないからこそ、JAZZでは常にメインの楽器としてアドリブなどでの音使いがとても奥深くなっていき、

決してこれが正解という出し方はありません。

演奏者の性格、キャラクターが最も表に出る楽器と言ってもいいでしょう。

さて、YAMAHAの音楽教室では月2回レッスンがあり、本当に音階から始まってごく簡単な曲を練習しました。

そこで、私が完全に虜になり、のめりこんでいくきっかけとなったアーティストの曲に出会います。

JAZZの神様「チャーリーパーカー」です。

教室の先生はJAZZが専門ではなくどちらかというとクラシック寄りでした。

それでも色々な楽曲を練習曲にされていたので、その中にチャーリーパーカーの曲がありました。

パーカーの曲の中では比較的簡単な曲でしたが、そのフレーズのカッコよさに惹かれていきました。

その教室は生徒が減っていき結局廃止されるのですが、そのあとすぐにJAZZ SAX講座が開設され、すぐに私は申し込みました。

先生は映画などの挿入曲なども演奏されるJAZZ界では有名な方で、大友義雄さんでした。

そこでの教え方は、最初のSAX講座とは違っていました。

一応楽譜のある曲も弾くのですが、先生が弾くピアノに合わせて、とにかくアドリブを吹くというものでした。

と同時に私はチャーリーパーカーのレコードを初めて買いました。

そして、当時はカセットテープに録音してアパートではもちろんのこと車を運転中はずっと流していました。パーカーのアドリブは中毒性があるとよく言われます。

私も例外なく、かなりのめりこんでいき、パーカーのフレーズを聴いていると、脳神経が激しく反応しているのか、一種の恍惚状態になるのです。

そして、実際に聴いていないときでも頭の中でフレーズが流れるといったことがよくありました。

それからは、チャーリーパーカーの楽譜オムニブックを購入し、パーカーの曲を練習しました。

そしてJAZZ SAX教室でそれをアドリブで再現するということをやっていたので、先生からは「急激に進歩してるね」と言われとてもうれしかったことを覚えています。

それから、先生のすすめもあって、SAXでは有名なセルマーのスーパーアクションを、新大久保のDACというところで35万で購入しました。セルマーはサックスの代名詞になるくらい、皆があこがれる機種です。

そんな大金を自由に使えるのは、やはり独身だからできるんですね。

会社のバンドでは、相変わらず楽曲はEPOなどのポップスが中心でギターを弾いていましたが、ためしに編曲してSAXを吹くこともありました。

東京での6年間を過ごした後、私は30歳を前に、熊本に戻り、再就職しました。

SAXは相変わらず続けていましたが、一人でやっても面白くないので地元のアマチュアビッグバンドに入団しました。

そのバンドは大学のOBをメンバーを中心に活動していて、大学のJAZZ研あるいは、中高時代にブラスバンドに所属していたような人たちばかりでレベルの差は明らかでした。私がSAXを始めたのが20代後半だったのでそれでも、受け入れてもらえたのは、とにかくJAZZに対する熱意でした。

ビッグバンドは楽譜があり、その通り吹くのが基本です。

途中に入るソロなどはアドリブですが、基本的には楽譜がメインです。

私は相変わらずひとりで、パーカーをはじめ、SAX奏者の曲を聴き練習していましたが、やはりひとりでやるには限界がありました。

また、その頃は津軽三味線もまだやっていましたので、いわゆる二足のわらじ、といった感じで、どっちつかずという感じは否めませんでした。

ビッグバンドでは、九州ビッグバンドコンテストに1回だけ出場したことがあります。

それはテレビでも放映されたのですが、自分では全く納得のいかない演奏になってしまいました。入賞はできませんでした。

三味線も相変わらず独学で、会社関係の催し物だったり、友人、知人の結婚披露宴などで演奏していました。

私自身は33歳で結婚しましたが、そのときは主役である自分自身がSAXと三味線を演奏するという、今思うと変な?披露宴になってしまいました。

結婚してしばらくは、SAXを吹く機会もめっきり減っていきました。

そして、36歳にして2度目の転職をします。

そこには、ドラムをたたける方がいて、同じくJAZZをやるのが趣味という方でした。

なので、JAZZの話をすると尽きることなく、同じ趣味を持つ人が近くにいるということは仕事の息抜きには最適でした。

ベースが弾ける方もいました。

ピアノの得意な女性もいましたし、あとから2人(女性と男性)SAXをやっている人が入ってきて、音楽を一緒に楽しめる仲間が一挙に増えました。

東京にいたときと同じように、職場のイベントなどがあるときはステージで演奏していました。

熊本のライブハウス、ペイあのPlusでのライブ演奏も行いました。

観客が60人くらいはいたと思いますが、食事をしながら演奏を楽しむという私が企画したコンサートのなかでは比較的大規模な企画でした。

しかし相変わらず、SAXは独学、悪くいえば独りよがりでした。

このままでは、一向に上達せず終わってしまう。

困ったことに、仕事上では職場の再編成があり、結局私自身が退職せざるを得なくなりました。

いわゆる「リストラ」です。年齢的に50歳を超えていました。

これは、音楽どころではない。生活の立て直しが先決です。3年間はアルバイトや派遣の仕事をしながら、家族を支えました。幸い妻も仕事を得て正社員で働くようになりました。娘はまだ小学校6年でした。

娘も私同様、音楽好きで、楽器は「ピアノ」以外に「ビオラ」も弾きます。

この辺りは、「私の娘の楽器遍歴」などでお話ししたいと思います。

仕事は2012年に、病院のヘルプデスクの仕事に就くことができました。

その病院全体の忘年会は毎年、市中の有名ホテルで開催されていました。

私は余興でSAXを吹かせてもらいました。

曲は「星に願いを」と「ムーンライトセレナーデ」

この余興には賞金がかかっていました。

できによって1等、2等、3等 などが決められ、賞金をもらえるのです。

私はそこで1等になり、確か1万円もらったと思います。

ギャラをもらったような感じで、ウキウキした覚えがあります(笑)

このころになると、娘のピアノと合奏する機会もでてきました。

教会のクリスマス礼拝後の祝会で毎年二人でデュエットしています。

ここ2年は、コロナ禍の影響で、祝会は取りやめになっているので寂しいです。

レパートリーとして「虹の彼方に」(Over The Raibow)が加わりました。

2018年には、教会で「虹のコンサート」と銘打ったコンサートが開催され多くの観客が集まりました。

私たち父娘は相変わらず、持ちネタの3曲を演奏し、観客の方々に喜んでもらえたと思います。

なので、JAZZはもちろん続けてはいましたが、ポピュラーなども演奏することもありました。

そんな時、初めて存在を知ったのが、プロSAX奏者Nさんの主催する、ワークショップでした。

この辺りからは、熊本のJAZZライブハウスの紹介のところでお話ししていきたいと思います。

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