チャーリー・パーカーの経歴、おすすめ曲やアルバムを紹介!

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私が音楽に意識的に触れるようになったのは、小学校高学年の頃です。

父が買ってきた映画音楽全集というレコードで、戦前の映画「風と共に去りぬ」

「タラのテーマ」などが印象的でした。他にも「シャレード」や「アラビアのロレンス」

などの映画のテーマが収められていて、それをきっかけに洋画にも興味をもつように

なりました。

また、このころ、巷ではグループサウンズの曲が流行っていました。

3歳年上の姉が、ワイルドワンズや沢田研二がいたタイガースのEPレコードなど、

買ってきては一緒に聴いていました。ワイルドワンズの「思い出の渚」やタイガースの

「君だけに愛を」をききながら、鍋のふたをドラムのシンバル代わりに長い箸で叩いて

熱演?したのを覚えています。

中学2年ころまでは、主に音楽は聴くだけのもので、それが、演奏する側になるとは

思ってもいませんでした。

中学時代からギター、大学に入り三味線、社会人になってからはSAXと色々な楽器を

弾くようになると、音楽がごく身近なものになり、色々なアーティストの曲を自分で

再現することが何よりの楽しみになり、音楽漬けの生活がずっと続いていきます。

ここでは、私がいままで聴いてきたアーティストで、特に影響を受けたアーティスト

について紹介していこうと思います。

【フォーク・ロック部門】 サイモンとガーファンクル

ポール・サイモン、アート・ガーファンクルのフォーク、ロックのデュオです。

2人ともユダヤ系アメリカ人で、サイモンが1941年10月生まれ

ガーファンクルが同じ1941年11月生まれで、二人とも今年で81歳になります。

デビューは1964年ですが、実はその前1957年に「トム&ジェリー」という名前で

「ヘイ・スクールガール」がちょっとヒットしたぐらいで、長くは続きませんでした。

1964年にグループ名を「サイモンとガーファンクル」としアルバム

「水曜日の朝、午前3時」で正式にデビューします。

しかし、そのアルバムは3000枚しか売れず、ポールはイギリスへ新たな音を求め

渡り、ガーファンクルはデビューするまでに在籍していた大学院へ戻ります。

サイモンはイギリスでトラディショナルフォークに触れ、ギターのテクニックを

磨きます。

このとき覚えた曲が「アンジー」というギター1本で歌詞もない楽曲でしたが

ブルース調のテクニックを要するものでした。

「アンジー」については、私の楽器遍歴に演奏動画を載せています。

彼らが一躍有名なディオグループとして人気を博すきっかけとなったのが

実は「水曜日の午前3時」におさめられていた「サウンドオブサイレンス」です。

超有名な曲なので皆さんもご存じでしょうが、実は最初生ギターメインでの演奏

で、割と地味な編曲でした。それを当時のプロディーサーのトム・ウィルソンが

原曲にエレキギターとドラムを重ねて編集しなおし発売しました。

それが、なんと1966年全米1位に輝くのです。

編曲というのは、本当に大事なのだと思います。

地味なものを派手に生まれ変わさせる力が編曲にはあるんですね。

その後も「アイ・アム・ア・ロック」「早く家に帰りたい」など、

ヒットを飛ばし続けます。

サイモンとガーファンクルの名は世界中に広まり、日本でも「サウンドオブサイレンス」

や「ミセス・ロビンソン」「スカボローフェア」など映画「卒業」のテーマ曲、

挿入曲になったのをきっかけに、多くの人に受け入れられるようになります。

私の楽器遍歴(ギター)でも書きましたが、私がギターをある程度極められた?

要因はサイモンとガーファンクルがいたからです。私の音楽の原点です。

1970年に発売された「明日に架ける橋」は、彼らにとっては最高の売上

(1000万枚以上)を記録し、さらに彼らの名は不動のものとなります。

「明日に架ける橋」は、実はアート・ガーファンクル一人で歌っています。

その歌声は天使の歌声と称されるほど、澄み切った美しさがあります。

「明日に架ける橋」は、グラミー賞の最優秀賞を受賞しているほどです。

このころから音楽性の違いから、結局それぞれソロで活動するようになるのです。

実にもったいないなあと思うのですが、グループで活動しているアーティストは常に

こういった、葛藤や試練と隣り合わせなのではと思います。

ましてや、我々アマチュアとは違い、音楽を仕事にしているのですから・・・

私は趣味でずっと音楽を続けていますが、もし音楽を生活の営みとしていたら、

もしかしたら、音楽が嫌いなったかもしれません。

しばらく、二人はそれぞれでアルバムを出し活動を続けていくのですが、

時々一時的に再結成することがありました。

私が東京にいたころ1983年に、日本公演をはたすのです。

な、なんと、実物が観れるのです。当時は東京ドームができる前の後楽園球場で

彼らのコンサートがあり、私は3日間連続で観に行きました。

本当はいけないのですが、録音できるウォークマンを持って行きこっそり録音しました。

それを見ていた隣の人から、そのテープをダビングして送ってくれませんか?と

頼まれ送ったことを覚えています。

もちろんその人もサイモンとガーファンクルの大ファンだったと思いますが、

初めて会った知らないお隣どうしサイモンとガーファンクルの話題で話が

盛り上がったのを覚えています。

その後も、1993年と2003年の2度にわたって再来日して、東京ドームと福岡ドームで

コンサートを開いています。残念ながら、というか、もうこの頃は音楽の嗜好がJAZZに

移ってしまっていたので、行くことはありませんでした。

すでに、二人とも80歳を超えていますが、いまだ現役でコンサート活動を続けています。

新曲をきくこともなくなりましたが、時々思い出したように昔のCDを聴くと、

中学、高校時代で音楽活動していたころのことを懐かしく思い出します。

今はJAZZ一辺倒ですが、結局サイモンとガーファンクルと出会えなかったら、JAZZまで

たどり着けなかったと思います。

もしまた日本公演があるとしたら、行きたいと思います。

私が選んだサイモンとガーファンクルベスト10です。

1位 アンジー(ポールサイモンのソロギター)

2位 四月になれば彼女は(April Come She Will)

3位 スカボローフェア

4位 サウンドオブサイレンス

5位 ミセスロビンソン

6位 ボクサー

7位 早く家に帰りたい

8位 明日に架ける橋

9位 52番街の歌

10位 ケイシーの歌

 

【ポップス部門】 松任谷由実(荒井由実)

大学に入学したころは、すでに山口百恵や桜田淳子、森昌子といったいわゆるアイドルが

歌謡界ではもてはやされていました。

男性歌手では郷ひろみ、西城秀樹(故人)、野口五郎があげられますね。

嫌いではなかったですが、いわゆる歌謡曲はヒット曲以外はほとんど聴きませんでした。

そんな歌謡曲全盛の頃、衝撃をうけた楽曲がありました。

それは、荒井由実の「あの日に帰りたい」です。

メロディアスなんだけど斬新で、また耳に残る印象的なメロディラインが他の歌謡曲

とは一線を画していました。

カセットテープに録音し、アパートで何度も繰り返し聴いたことを覚えています。

え、これはなんだ!?あまりに衝撃的だったので、他の曲も聴いてみたいと

LPレコードを買いました。それが、ファーストアルバム「ひこうき雲」でした。

タイトル曲「ひこうき雲」の歌詞も斬新でしたね。

「死」を想像させる?ものでとても印象的な楽曲です。

ユーミンは稀有のヒットメーカーです。

サザンの桑田佳祐も同様ですが、経歴としてはやはりユーミンが先に来るでしょう。

1954年1月生まれ。

小さいころからピアノや三味線、ベースなどの楽器に慣れ親しんでいたそうです。

17歳で作曲家としてデビューします。大学は多摩美術大学で、美術を専攻しますが、

このころはもうプロの作曲家として認められていたんですね。

他のアーティストなどにも数多くの楽曲を提供していて、どこからこんな印象的な

メロディーが浮かんでくるんだろうと、天才としか言いようがない荒井由実という

人の才能がうらやましい!そう思いました。

他の歌手に提供した楽曲、または他の歌手が歌っている方がメジャーになった曲で

主なものをあげてみます。

1.時をかける少女   原田知世

2.卒業写真      ハイファイセット

3.「いちご白書」をもう一度  バンバン

4.まちぶせ      石川ひとみ

5.中央フリーウェイ  庄野真代

松任谷由実となっても、その才能のすごさをいかんなく発揮していますが、

やはり「あの日に帰りたい」が私にとって、今でもベストワンの楽曲です。

私が選んだ松任谷由実(荒井由実)ベスト10です。

1位 あの日に帰りたい

2位 ひこうき雲

3位 やさしさに包まれたなら

4位 ルージュの伝言

5位 中央フリーウェイ

6位 真夏の世の夢

7位 春よ来い

8位 恋人がサンタクロース

9位 守ってあげたい

10位 海を見ていた午後

2005年からは紅白歌合戦にも時々出演するようになりました。

2013年には、紫綬褒章も授章しているんです。

それほど、音楽界に大きく貢献した証ですね。

現在、67歳ですが、これからも今までと同様派手なステージパフォーマンスも

さることながら耳、だけでなくこころに残る楽曲をつくり続けてほしいものです。

 

【JAZZ部門】 チャーリー・パーカー

「JAZZの神様」あるいは「モダンジャスの父」とも称されます。

実際に、彼に関する書籍や書評をみると、そういった表現をしているものが目立ちます。

今のJAZZが音楽のひとつのジャンルとして確立されたのは、パーカーの功績によるところがとても大きいと思います。

20代後半SAXを始めたばかりの頃、初めてパーカーの音楽に触れたのですが大きな衝撃を受けました。

それはもう、いままでなぜもっとはやく、その存在に気付かなかったのだろうと思うほどの衝撃でした。

私の楽器遍歴(サックス編)でも書きましたが、色々な音楽を聴いてきたあとの、JAZZへの異常な程の熱意はパーカーによるところが大きく、色々なJAZZのアーティストを聴くようになってからでも、結局最終的にはパーカーに戻るのです。

「ビバップ」というモダンジャズの源流となる演奏スタイルを確立したJAZZプレーヤーですが、今でも、SAX奏者は必ず彼を通らざるを得ないというか、誰もが病みつきになるくらい惹かれるのです。

チャーリーパーカーは1920年8月29日、アメリカ・ミズーリー州のカンザスシティーに生まれます。

カンザスシティーはJAZZが栄えた街で、パーカーも例外なくJAZZに惹かれるようになります。

サックス自体はを独学でした。もうハイスクール時代にはプロとセッションしていたようです。

まだ、そのころはいわゆるスイング全盛のころで、多くの民衆がこの新しい音楽スタイルスイングに引き込まれて行きました。

スイングジャズは、いまでもビッグバンド形式で演奏されますが、管楽器、弦楽器(ギター)、打楽器(ドラム)ピアノなど、17人以上のオーケストラ形式で演奏されます。

ただ、今のように演奏そのものを楽しむのではなく、どちらかというとダンスミュージック的な要素が強かったのです。

まだ10代だったパーカーは、ビッグバンドのメンバーとして、演奏技術を向上させていきます。

ジャズは常に進歩しています。

ダンスミュージックに飽き足らなくなったパーカーは、楽譜を廃して、色々なフレーズを即興で演奏し、いわゆるアドリブの部分が見せ場になるように、研究と実践を重ねていきます、

これが、すなわち「ビバップ」とよばれるJAZZのスタイルになっていきます。

そして、バップ以降、多彩な演奏法が数多く生まれる原点となります。

ビバップが聴衆に強烈に支持されるようになると、その立役者チャーリーパーカーの演奏を観たいと、多くのJAZZ愛好家たちが、各地から演奏を観にやってきます。

そのアドリブは、天才的なものがあり、JAZZが本当の意味で音楽のジャンルのひとつになっていきます。

JAZZのJAZZたるゆえんは、即興です。

彼はコード進行を意識しながらも、瞬時に素晴らしいフレーズを次から次へと繰り出していきました。

すでに、パーカーを知らないというJAZZ愛好家はいないというくらい、知名度は相当なものでした。

天才は、どこか狂気的なところもあり、パーカーも例外ではありません。

麻薬とアルコール中毒のため、精神的には相当苦しんだようです。

ライブハウスでの演奏や、レコーディングをすっぽかすということもあり、精神病院にもたびたび入院しました。

ただ、そんなすさんだ状態でも、サックスを持たせると、相変わらず驚異的なアドリブを披露していたのです。

時には酒と麻薬を買うお金がなく、自分のサックスを質屋に入れるということもあったようです。

私生活では、愛娘を幼くして失いました。

そのショックからヨードチンキを大量に飲んで自殺未遂したこともあります。

晩年になると演奏自体のすごさは衰えることはありませんでしたが、あきらかに全盛期の演奏と比べ、なにかすさんだものを感じます。

悪く言うと、破綻寸前といった感じです。

もう体もこころもぼろぼろになり、1955年5月9日、パトロンだったニカ男爵夫人の家で、亡くなります。

テレビのコメディ番組を観ている途中、笑いながら亡くなったということらしいですが真偽はわかりません。

医師の死亡診断書には、死亡推定年齢60歳と書かれていたといいます。

実際は35才だったのですが・・・

35年のパーカーの人生の中で、残した録音数は相当あり、まだ未発表の録音もあると言われています。

レーベルとしては「サヴォイ」と「ダイアル」のレコードが有名です。

2020年はパーカー生誕100年の年でした。

それを記念してサヴォイレーベルから、新たにリマスタリングしたCDが発売されました。

ヴァーヴレーベルでは、トランペット奏者で、パーカーとともにビバップをけん引してきたディジーガレスビーとの共演も有名です。

1988年には、クリントイーストウッドが監督した、チャーリーパーカーの伝記映画「バード」が公開されています。

私はちょうど東京にいたので観ることができたのですが、いわゆるメジャーな作品ではなかったので、熊本では上映されていないと思います。

(間違っていたらごめんなさい)

フォレスト・ウィテカーが主役のパーカー役を演じましたが、パーカーの実際の演奏をノイズなどを消して、リマスタリングした音源を使っています。驚いたことにウィテッカーがサックスを吹いているところをよく観察すると、運指(指使い)がでたらめではなく、ちゃんと合っているのです。あのパーカーを忠実に再現することなど不可能に近いと思われていたのに・・・相当練習したに違いありません。ウィテカーはこの作品でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞しています。

私がJAZZに傾倒し始めたころからもう30年たちますが、ライブハウスではスタンダードナンバーを吹くことが多いですが、最終的にはパーカーのようなフレーズを吹きたいと常々思っています。

とりあえず、いまは「Confirmation」を自在に吹けるようになるため練習しているところです。

私が選んだチャーリーパーカー演奏ベスト10です。

1位 Confirmation

2位 Yardbird suit

3位 Laura

4位 チュニジアの夜

5位 Nows The Time

6位 Ornithorogy

7位 Donna Lee

8位 Star Eyes

9位 Billie’s Bounce

10位 My Little Suede Shoes

やはり1位はなんといっても Confirmationでしょう。

これが自在に吹けるようになると、アドリブのパターンが自然に身につくと言われたのですが、(前の先生に)今はこれに集中して完コピして、自在にアドリブできるようになりたいと思っています。

 

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